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有賀コンサルタントは現場主義に徹した、ISOコンサルティング、安全・衛生コンサルティングを通じて、現場を変革します。

TEL. 0266-58-7032

〒392-0015 長野県諏訪市中洲2841-5

社長のブログ(2016年1月~12月)

2016/12/19 「革新を考える」

12月18日、私の関係する審査員研修機関でOHSASの講師会議がありました。
研修機関の経営者は能弁な方で、ISO研修機関は革新が必要だと話されました。
ISOバブルが弾け、今は2015年版改訂の風が吹いて少し景気がよいが、問題は2018年以降であると。
組織の目的を考え、革新的な事業を行いたい・・・

これは今、日本のすべての組織、団体、個人に言えることではないかと思います。
2020年の東京オリンピックまでは上昇の雰囲気ですが、その後はどうなるのかと考えると、私も66歳になり、どうなっているのかな? と不安がつのります。

先日ラジオでどなたかが次の話をしていました。
無難なく仕事をしても面白くない。うまくいけば150%を目指す仕事を心掛けている。
当然失敗すれば成果は50%になる。でも3回に1回位は成功するかもしれない。
そうなんだと思いました。並みの成果を求めてはいけないのです。革新する方法を常に考える気持ちが大切なんだと分かりました。

環境と安全衛生の講習会で、よく戦艦大和の失敗を話します。
戦艦大和の最後の艦長は有賀幸作でした。審査で「有賀さん身内?」と言われことがありますが、関係はありません。
日本は米国との戦争を真珠湾攻撃で始めました。仕組まれた戦争との考え方が強いですが、とにかく先制攻撃をしました。当時の常識では、航空機が戦艦をたたけないのが常識でした。でも日本海軍は戦果をおさめました。その成果を評価することなく、真珠湾攻撃の8日後、戦艦大和が竣工し、その後武蔵、長門を建造しました。
日本はこの戦果をレビューすることなく、戦艦をつくることに邁進します。米国は戦艦大和、武蔵の情報を得て、航空機でたたくシュミレーションをしました。勝てるわけがありません。

私達の今の延長線上には、仕事の成果はないと考え、仕事の方法を革新する必要があると思っています。
失敗したっていい! 革新的な方法を実践する。

今ISO9001、14001の2015年版への移行が、企業で行われています。
このような中で、革新的なコンサルを行えればと考えています。

今日、ISO14001:2015年版の内部監査員教育がありました。ISO14001は「著しい環境側面」という言葉で、混乱する組織が多いです。
日本にはこんな言葉はありませんでした。
私は規格解説で、「著しい環境側面」とは業務上の重要事項と考えればよいと説明しました。
受講者は案の定、食いついてきました。
「売上高の増加が環境目標でいいのか・・・」
「設備稼働率の向上、生産性の向上を著しい環境側面にしてもいいのか?」
私は即座に言いました、「皆さんがそう考えれば、それは適切です!」
「著しい環境側面は?」と聞かれても、現場の作業者は????
「業務上の重要事項は?」と聞かれれば、ほとんどの人が明快に答えられるはずです。
答えられなければ、真剣に働いていないことになります。そんな人が多い組織は立ちいかなくなることは明白です。
だって業務の重要性の認識がないのですから???
常に自分の仕事の意味を考えて、行動しようと考えを新たにしています。

2016/11/9 「ペルー旅行」

10/4~11ペルー旅行でした。
旅行の前後は忙しく、10月のブログは書けませんでした。

8日を通じて一番大変だったのは、リマまで行くのに24時間(ダラスでのトランジットの時間も入れて)、成田への帰りも20時間の飛行でした。遠い国を痛感しました。
リマに着いた日のシェラトンリマホテルのフロントではくたくたで、全員がソファーに寄りかかってしまいました。

翌日リマではラルコ博物館を見学し、アンデス文明が独特の文明を構築していたことに感激しました。
基本概念は、「天上・地上・地下世界」。天がもたらす恵みの雨を地上に生きる人間が利用し、農耕を行う。地下は収穫物が生まれ出る場所であり、死者の世界です。自然と共存する考えで日本人とよく似ています。
アンデスの人と日本人は起源が同じモンゴルであり、遺跡にある人物に親しみが湧く気がしました。特にいろいろな工芸品は精緻に作られており、日本人の特性と良く似ていました。同じDNAを引き継いでいるとすると、アンデスの人々に親近感がわきます。

ラルコ博物館の装飾具等は素晴らしいものでした 黄金の文化と言われていますがどこで産出したかは、あまり情報はありませんでした。
征服したスペイン人は熔かしてインゴットにしたのですから、ひどい話です。でも征服者が考えたのは、芸術品でなく本国に略奪物を送ることが優先したのだと思います。
ラルコ博物館の装飾具等は素晴らしいものでした。各種の織物、陶器・・・。特に金製品は500年の歴史を経ても美しく輝いていました。権力者の象徴として、貴金属は必要だったのだと思います。
ガイドの入倉さんの話では、総称としてインカ文明は精緻な文明と高い科学を確立していた。しかし高等な文明であるがゆえに精緻に構築されたが、戦いの能力は少なかったため侵略者であるスペインに負けてしまった。
私達の今の文明と一面よく類似しています。何かあった時にはもろく崩れる危険があります。

翌日はナスカの地上絵。
ピスコ空港までのパン・アメリカーナ・ハイウェイには、砂漠地帯でたくさんの産廃の残骸が見られました。
砂山を切り裂いた道路の両側の斜面は、玉石が露出し不安全きわまりなかったです。
道路脇には、建築途中の建物がたくさんありました。ガイドの入倉さんによると、ペルー人の考えは、今できるところまで製作し、またお金が貯まった時に行うとのことです。見た感じでは、95%が完成に至らないような建築物でした。
海岸側の牧場のような場所はリゾート地で、貧富の差が大きいことが分かります。
ペルーの砂漠の生産面積は日本の生産面積より狭いが、生産性は大きい。なぜなら3毛作だからだそうです。さらに砂漠は岩石を砕いたものなので肥沃であり、水さえあればペルーの土地の生産性は高いとのことで驚きです。

ナスカの地上絵 2班に分かれ、約40分ナスカの地上絵まで移動、20分の旋回飛行でした。
案内図にある、ハチドリ、クモ、サル、アルカトラス、オウム、宇宙飛行士、クジラ、台形、木を確認しました。
私は左舷なので、左旋回の時、写真撮影です。
20分も旋回していると、けっこう気持ち悪くなりました。20分の旋回で十分でした。
けっこう繊細な線で、回りにいろいろな線があるので、よく見ないと見失います。
巨大な地上絵、それを横切る道路があるのには驚きました。世界遺産が壊されているとは!
何のためにために書いたのか・・・? でもかなり高度な技術があったことは確かです。

帰ってからリマのホテルでは、隣のスーパーに買い物に行きました。中のカフェでは、サッカーの試合で盛り上がっていました。ペルーは個人技が高いのに、勝てないとかで、日本とは逆です。この時も負けたようでした。
リマの街は危険な場所で、この時私のような日本人は、現地の人からみると窃盗のカモに見えていたことと思います。私達のツアーでは、ガイドの入倉利栄さんがよく注意してくれたので、何も問題は起きませんでした。

クスコの街 10月7日リマから空路クスコへ。
飛行機では前の席にソファーがなく、プラスチックの座席のみというアクシデントがありました。日本ではありえませんね。
クスコの標高は3400mで、ガイドの須藤さんにゆっくり歩くように指示され、全員ゆっくりゆっくり歩きました。でも私は軽い高山病でした。妻はならなかったようです。
クスコの街はよく清掃されきれいでした。
太陽の神殿跡に建てられたサントドミンゴ協会を見学しました。
アンデス時代の隙間のない石積は見事でした。時間をかけノミで削る手法で、効率を考える現代社会との違いを感じました。
街中には民族衣装の人たちがいて、写真を撮ると1ソル(日本円で40円)をもらう仕事をしていました。
自分たちのおかれた状況を受け入れ、淡々と生きているそれが現地の人の考えだとのことです。クスコからバスで2時間オリャンタイタンボ、さらに列車でマチュピチュへ。

マチュピチュ村に着いたのは夕方、街では飼い犬がうろうろして、でも誰もいじめないので吠えることもなく安全です。翌朝はいよいよマチュピチュへ。

10月8日、山のジグザグ道をバスで上り約40分で、遺跡の入口にあるレストランにつきました。そこから歩いて遺跡へ。
発見当初は森林の中に埋もれていたようですが、今は私たちがテレビ等で見る画像のとおりでした。
なぜこんな山の上に都市をつくったのか? 神に近い場所で暮らしたいという信仰に由来するように思いました。

写真で観ていたものが、目の前にあると感動します。目の前にそびえるのがワイナピチュ。後ろがマチュピチュ。梅内さんにいろいろ説明していただいたのですが、思い出せません。
結論は、急がずにこつこつ造り、500年前には素晴らしい賑わいが想像できます。
そして今の技術でも製作困難なものがあるようで、高度な技術が確立していたことが分かります。

マチュピチュへの入口とされる太陽の門は、往復3時間かかりました。当時はバス道でなく、山の道を歩いて登ってきたのです。
午後1時に出発しましたが、雨が降り出し、カッパでのスタートでした。
それでも1時間位で、雨はあがりほっとしました。太陽の門からはマチュピチュの全貌が見えます。雨上がりのマチュピチュも、さっぱりしてきれいでした。

ペルー旅行から帰り、日本は暮らしやすい国で、幸せだと感じています。
ペルーの人々は暮らしにくい中、貧しい中、一生懸命に働いていました。
ペルーは農地改革の失敗で、田舎の農民は土地を売って都会にでてしまったとのことです。その結果、ペルーの1/3の人口がリマに出てしまった。(ガイドの入倉さんの話)
幸せ不幸せとは何か? PCを操作して、お金を稼いで幸せになれるのか?
私の考えは、物欲では幸せになれない。
家族を大切にし、生活に目標を持ち、自分の能力を社会のために使うことなのかなと考えました。
これからの人生どう生きるか考える機会になりました。

2016/9/19 「野外料理教室」

採れたキノコとダッチオーブンで「かぼちゃ料理」 今年もキノコの季節となりました。
茅野市千駄刈自然学校の野外料理教室に参加しました。
参加したといっても、私達夫婦だけです。本当にもったいないです。

秋雨前線と台風ばかり来て、このところ雨降りばかりです。
9月19日も雨降りがちな天気でした。
10時から14時までですが、10時にはなんとか小雨になりました。

カッパを着て、庄司先生の後に続き昨年と同じ森林に入りました。
今年はまだ気温が高く、キノコが出ていないとのことですが、予想以上に大漁でした。
庄司先生も入れて3人で採れたキノコは写真のとおりです。

採れたキノコは、次のとおりです。
タマゴタケ、ミネシメジ、ツバフウセンタケ、ムラサキフウセンタケ、アイシメジ、カベンタケ、キツネタケ・・・
まだいろいろ名前を教えてもらいましたが、メモできませんでした。

それにしても庄司先生は、よくキノコを知っています。
私達では、キノコが採れても食べられるかの判断はできません。

まずキノコ汁!! 7種類以上のキノコが入っているのですごくいいダシが出ています。
さらに炒めて食べて、キノコづくしが続きます。

ダッチオーブンで、写真のような「かぼちゃ料理」もいただきました。さらにダッチオーブンでキノコのリゾットもいただきました。これが非常においしかったです。
そういえば我が家にもダッチオーブンがありますが、5年以上使っていません。
今年の秋には、どこかで使おうと思っています。

諏訪地方には、このような自然を体験できるいろいろな機会があり、すばらしい場所だと痛感しました。うまくPRすれば、都会の人々が利用できる体験がいっぱいあります。
10月2日は、さらにキノコ狩り教室に参加します。
本当にキノコ狩りが好きな2人です・・・!!
この時には、もっと大漁になることを期待しています。

2016/8/31 「十割蕎麦」

清水屋さん 上田市のお客さんに、武石の蕎麦屋に連れていってもらいました。
清水屋さんです。
十割蕎麦が売りです。
当然十割が上等品と思ったのですが、常務は二八蕎麦がいいとのことです。
おや・・・と思いました。
のど越しが、二八蕎麦がいいというのです。

わが家は、妻が炭水化物ダイエットのため、ほとんど蕎麦屋には行きません。私も蕎麦の味がそんなに分かる訳ではありませんので、一人で行くこともありません。

社長と私は十割蕎麦と二八蕎麦を食べ比べることにしました。
女将さんは、二八蕎麦は小麦粉のにおいがするから・・・というのです。確かに小麦粉のにおいがしました。
率直に言って、私はのど越しのいい二八蕎麦が好きということが分かりました。

何でも100%がいい訳ではないのだと感心しました。
蕎麦の好みに、のど越しを大切に考えるか、香りを大切にするのか人の好みが違うのです。

私達の他に、観光客が1組いました。
庭は歴史を感じる、よく手入れされたものでした。このようなお店が残ってもらいたいものだと思います。
インターネットで、「武石 清水屋」で検索すると、食べログがヒットしました。
すごい時代です。インターネットでいろいろな人が情報発信し、それを多くの人が検索できる時代。

仕事でいろいろな場所に行くため、お客さんが連れて行ってくれる地元のすばらしいお店を体験してきました。
富山の佐蔵、金沢の魚菜、上越高田の嘉肴、日高三石の漁・・・
こんな機会に巡り合えるのは、本当に幸せだと感謝しています。

2016/7/24 「相手の気持ちを考えること」

(株)テクノファのOHSAS18001審査員コースは、IRCAの認定コースです。IRCA(英国)とはISO審査員の認定、ISO審査員の研修機関の認定を行っています。
認定コースなので、年1回程度の立会いがあります。7/12、13が立会いでした。いつものとおりやればいいので緊張はないのですが、受講生5人のところ2人の立会い者ですから、気分はよくないです。次のような点が気になります。
(1) 教育効果を高めるために、講師が行っていることが正しく理解されないかも?
(2) 受講者が反発したら、収拾できないかも?
(3) 時間がずれたら何か言われるのかな?

この時、いつも審査している企業の気持ちが分かりました。企業の方々は、こんな気持ちなんだと分かりました。自分達の業務のあら探しをされては、気が滅入るわけです。どうすれば、審査を楽しく受けてもらえるのかなと考えました。

ここはいいね・・、ここもいいねと言って、その後でここは改善の余地がありますねと言うことだと思いました。いいこと2つ言ったら、改善の余地(悪い点)1つ言う位がベストでしょう。私たち夫婦でも、お互いの欠点はよく分かっています。ですが、指摘されてもなかなか直りません。2人の特性に起因しているのでしょう。
私は片付けるタイプ、妻はいろいろ片付けないタイプ。この違いはどこから生まれるのか? 強く言えば、夫婦喧嘩です。さらに自分の信念を貫くと離婚です。私は離婚が悪いとは思いませんが、その寂しさに耐える勇気がありません。
私の回りでも、離婚した人はたくさんいます。決断で離婚したことに感心します。世間の評判でなく、自分の気持ちを尊重したことに対してです。かつて妻と結婚する時、父が言いました。「そんなことは気にするな、俺がいるから大丈夫だ」。私は怒ると思っていました。でも父の器はもっと大きかった。私は、本気で父はすごいと思いました。私がこんなことができるか?

以前お酒に酔って、普段は閉めている心の扉が開いた時、涙が溢れたことがありました。俺は何をしたいんだ? 出てきた気持ちは「父にほめられたい」でした。
小さい時から、ずっとこんな気持ちだった気がします。いま父はどんな気持ちなのかな? 俺をどう思っているのかな? 父親と息子は、こんな話はしないのですが・・・!

先日、畑の除草を行いました。ビーバーで刈りました。繁茂する雑草を仮払いするものです。私と妻の違いは次の通りです。
(1) 私は、邪魔な花だとカットしました。邪魔と思ったあじさいを少しかわいそうだなとは思いました。
(2) 妻は、「えーなに、ひどい・・・・!!! まだ咲いてるのに・・・!」
同じ事象のとらえ方と、考え方の問題なのですね?
どちらが正しい、ではないのです。
私達が、これから生きる時、相手の気持ちを考えることが大切だと体験した時です。

かわいいあじさいを買ってきました こんなことを考えました。
(1) 大切にする人はだれ?
(2) かれらは何を求める?
(3) 私は何ができる?

妻の気持ちを考え、大町に行った帰り、かわいいあじさいを買ってきました。庭に咲いている大きな花と違い、小さな花でかわいかったので、心をひかれました。

2016/6/7 「33年間の課題」

33年前の12月13日、私は千畳敷カールの雪上訓練で右足の腓骨を捻転骨折しました。
その年は暖冬で、12月に降雨があり、その後の温度低下で雪面が凍結していました。
信大生の佐藤君との訓練の最後の時でした。
私が落ちる役で、ザックを背負い、アイゼンをつけて滑落しました。ところが右足のアイゼンの爪が雪面(氷)にひっかかり、右足がボキボキボキと音をたてたことを、今でもありありと覚えています。
その後、市ノ瀬医院で見たX線の映像は、腓骨が本当に3ヶ所折れていました。

千畳敷で滑落してから立ち上がると、右足が少しねじれている気がしました。千畳敷の木下さんも折れているとの判断です。
ダンボールで固定してもらい、天竜峡の市ノ瀬医院に入院となりました。
10日間位入院したと思います。
何とか年内に出社しようと、当時の勤務先であるT化学に年内の27日に出社した覚えがあります。

問題は、治療中の歯があったことです。
10日間の治療がとどこおり、右上の歯は抜歯となりました。
伊那市の小池医院で行いましたが、先生は優秀でした。だって、ブリッジが33年ももった訳ですから。
でも最近2年程度、ブリッジの中に食べかすがたまるようになりました。妻に見てもらうと、黒くなり腐っているというのです。
悲しかったけれど現実です。
いつも一生懸命、歯みがきしていましたが、そろそろ限界だったのです。

今回非常に悩みました。
だってまだ痛くはないし、そんなに不便はありません。なんとか、まだもつのではないか?
痛くなるまで待とう・・・。
でも踏ん切りました。痛くなってからでは遅い。踏ん切ろう!

もう2本抜歯しているので、抜歯に違和感はありません。
むしろブリッジを抜歯した後の33年の経過した状態が恐ろしかった。怖くて見れない気がしました。

抜歯後、今の状態を確認すると、痛みはない。
話をしても、そんなに息は抜けないし。
本当によかったです。
33年間の課題が解決した気がします。
むしろこの問題は28歳の時に戻った気がします。

ブリッジの片側は抜歯していないので、何とかこの歯を大切にしたいと思っています。
33年間ずっと心に引っかかっていたものが解決されました。
これから、いろいろの問題は先送りすることなく、前向きに解決する決意ができました。

抜歯後、歯科衛生士さんが言いました。
こんなに大きな歯を2本抜いたので、大きな穴が開いています。
2本の歯よ、そしてブリッジ、33年間ありがとう!

2016/5/23 「御柱」

5月3日~5日は、上社の里曳きでした。
4日は長男夫婦、孫2人が来て、午後から参加しました。
5年前の副区長の人脈があり、知り合いがいて話も弾みました。
前日で高部まで来ていて、もう曳く距離は短いです。それでも曳き綱をもらい「ヨイサ! ヨイサ!」と声を出して曳くのは気分いいです。

5日は、テクノファからの女性2人と御嬢さん1人、私達夫婦、5人で建て御柱に参加しました。
10時からの参加なので、上社の御柱が進入する御手洗川の橋のあたりはすごい人出です。

エコアクションでお世話になっている笠原さんのお宅は上社のすぐ近くにあり、お昼をいただくことにしました。
笠原さんは顔の広い方ですので、笠原さんの会社関係の方々等、7人程お客様がいました。
奥様、娘さんは忙しく料理を出して、大忙しです。笠原さんもこれが最後かな?と言っていました。
来たお客様には、お酒、料理をふるまう訳ですから大変です。かなりのお金がかかるはずです。

私の地区は、中洲・湖南で本宮2の柱です。上社の参道の鳥居を入って左側になります。
冠落としが行われているところでした。御柱の先端を三角に尖らすために、斧で削ります。
削った木片は配布されて、氏子のお守りになります。私も袋に入れて、毎日持ち歩く鞄に入っています。
御柱にロープを掛け、ワイヤーを回して、垂直まで建てるわけです。もうこの段階は、私達一般の氏子は見ているだけです。
前回の下社の御柱で2人が亡くなっているので、柱についている人々は皆、安全帯をしていました。

私の地区は中洲・湖南で本宮2の柱です 御柱の正式な起源は知りませんが、会社、地域等への帰属意識が少なくなっている時代、地域で1本の柱を引くのは、地域が結束するよい機会になると思います。
木遣りで、「協力一致で、お願いだぁ~!」といいます。
でも今回の人出を見ても、出てくる人は同じ人達です。つながりのない人々は、なかなか参加しにくいです。

建てた後、宝投げを行います。柱の上、あるいは周りから御餅、お守り、お菓子等を投げます。
結構たくさん投げてもらい、いろいろ拾えました。お守り等、息子夫婦にも分けました。
テクノファの人達は、午後5時のあずさを予約してあり、午後4時頃帰ることにしました。
御柱は、ほぼ垂直になっていました。

今年は無事終わったと思ったのですが、なんと午後4時30分に隣の本宮1の柱で、墜落事故があり、1人が亡くなってしまいました。
残念です。
安全帯を掛けた場所が正しくなかったようです。御柱とはいえ、これからご家族は大変です。ご冥福をお祈りします。

次の御柱では、68歳になります。
その時は何をしているのだろうか?
元気で働いているのだろうか?
それとも・・・・・?
いずれにしても、目の前に来たものに真剣に取り組むだけだと考えています。

2016/4/23 「山梨馬術大会エンデュランス40km完走」

4月23日は乗馬のエンデュランスの大会でした。
7年前乗馬を始めたばかりの頃、堤さん(クラブの先輩)達が40kmの大会に出るとか話しているのを聞いて、自分もそんな領域に行くことが出来るのかと考えていました。
完走できて、続ければなんでも達成できるようになるのだと、改めて思っています。

私は乗馬クラブ、八ヶ岳ロングライディングに属しています。
このクラブからは、40kmに5人が出場しました。吉居さん、山本さん、伊藤さん、木藤さんと私でした。
私以外は、すべて女性であることに驚くとともに、なぜ乗馬に男性が少ないか疑問です?

私が騎乗した馬は「ヤマブキ」14才、牝です。
彼女には、幾多の苦杯をなめさせられています。手綱を強引に引くと、3倍の仕返しがあります。
岡田さん(八ヶ岳ロングライディングのオーナー)によると、馬に「乗り手の言うことを聞くと、楽になるんだよ!」ということを早く分からせることが大事。
馬は乗り手を知るために、ちょっと勝手な行動をする。近くの草を食べたり、頭をぶつけたり・・・。この時に叱らないと、だんだん助長してくる。
最近、このあたりの感覚が分かって来ました。

ヤマブキはとにかく、先頭はきらいです。したがって、徹底的に他の馬の後について行く作戦です。
それも、会場の八ヶ岳ロングライディングから山道に出られるかが、一番の問題です。
練習でも動かず、2回に1回は引いて出発しています。
山本さんが騎乗するミスティに、徹底的について行けとの指示を受け、出発しました。
無事スタートできて(10:00)、これで1レグの20kmは戻ることが出来ると感じました。

棒道>第一防火帯>観音平>第二防火帯>折り返し というコースです。
とにかくミスティのお尻を追いかけて、順調に折り返し地点までは楽でした。
帰りは、他の3馬、ハッピーターン、アミー、ミスティの調子がよくて、後ろから2番目で帰りました。
一番後ろの吉居さんは熟練者です。後ろから、「下りは立ち乗りした方が、馬の負担が少ないよ」と言われました。そうか、軽速歩(けいはやし)だけでなく、いろいろな乗り方をすることで、馬の負担が軽減すると教えてもらいました。
1レグの獣医検査を通過したのが、12:47。

用意していただいた弁当を食べ、2レグのスタート。(13:22)
2レグはコースが変わり、棒道>サントリー上>競技場>折り返し。
このコースは何回も乗っている慣れたコース。
棒道の途中から、ミスティが先頭をいやがり、吉居さん(カンベー)が先頭になりました。
吉居さんは上手です。お尻が鞍から離れない。うまくかかとで揺れを抜いて、さらにちゃんと馬を押している。

私が騎乗した馬は「ヤマブキ」14才、牝です 2レグの行きが少しゆっくりで、帰りはほぼずっと速足(はやあし)。途中駈足(かけあし)もありました。
帰りはヘトヘトでした。
特に棒道からの下りは、きつかった。
前の4人の女性は、後ろから見ると楽々のようです。後から考えると、皆さん私以上の経験者のようで、後から納得しました。
特に吉居さんは、全日本の120kmで2位になった実績があるとのことで納得!
到着(15:16)、最終獣医検査(15:46)。
到着してからクルーが大変です。
馬の足を冷やす必要があります。スポンジに水を含ませ、馬の足を冷やします。
獣医検査を受けたのは、ヤマブキが最後。
最初のエンデュランスの時、失格したことが頭をよぎります。今回も失格では・・・。
歩様検査(特にびっこを引いていないか?)はスタッフの宮脇さんがうまくやってくれて、無事オールAで合格。獣医さんと握手ができました。バンザイ!!
これで完走賞だけでなく、ベストライディング賞までいただきました。
ヤマブキは生まれつき、右前足が曲がっていて、疲労が出やすいようです。先天性の問題がありながら、完走したことへの賞状でした。
とにかく完走できて、これでエンデュランス2級の資格が取得できました。
ロングライディングのスタッフの皆さん、クルーの皆さん、本当にありがとうございました。

2016/3/11 「人生で幸せな時」

今、特急あずさの中。
ISO14001:2015の新しい審査員コース(5日間)を無事終えて、少し満足にひたっています。
受講者の評価は悪かった点もありましたが、しょうがないと思っています。
特急あずさの中、私の2列前右側に、お父さんと息子が乗っています。
明日たぶんどこかの山に行く風景です。
本人たちには分かりませんが、人生で一番幸せな時間だと思いました。
だって父親が、男の子供にいろいろ言っている。
こんな幸せな時間・・・・・・
多分当事者は分かりません!

自分のことを考えると・・・
息子の直広の方がよっぽど賢く、いろいろよく分かっていた気がします。
ああ・・・自分がなんと猪突猛進であったかと思います。

でも息子と男親、娘と女親、幸せな時間がありました。
気が付くのは後ですね・・・
私達は、今の幸せに気が付かなければいけない気がします。
生きていて幸せ。

あずさの中の父と息子の会話は続いています。
これだけ続くのは、いい関係なのだと思います。後ろで見えませんが、多分二人の口角はあがっています。楽しい時間・・・

今年も事務所の桜が咲きました こんな会話のできている息子は、必ずやいい人生が送れると確信します。
この父の気持ちを受けて。

ああ・・・私達にはもうそんな機会はありません。
そんなことはないかな?
教育で、「目からうろこ」のような気付きを教えればいいのかな?

今年も事務所の桜が咲きました。
葉が多くて、華やかさはありませんが、これでなかなか気に入っています。
今年も春が近づいています。
今年の結婚記念日、3/21はどこに行こうかなと考えています。

2016/2/2 「ナナの死」

今朝、パピヨンのナナが亡くなりました。 ナナは1歳の出戻り犬で、我が家で14年暮らしました。前の飼い主と仲間の犬に虐められ、人間不信、犬不信状態でした。
我が家に来たばかりは、人の目が見られませんでした。
14年間も一緒に生活しました。子供達と同じ位の期間です。
調子が悪くなり、1.5日一緒に暮らしましたが、これは現実を受け入れるための期間なのだと思っています。
昨夜は、妻と私で川の時になり、真ん中にナナがいて、私の足元にジジがいる寝方にしました。
もう何時間も経ち、小さい呼吸だけですが、何時間もがんばりました。
そして今朝、3時45分、ガァーと声を出し、足を上げて息が絶えました。
「さよなら!」と言った気がします。
私、妻、ジジが見守る中で、幸せな死に方だったと思います。

瑞牆山での写真2006.2.25 いろいろな山に行きました。
頭が良くて、私の後ろを歩いてきました。遅いと前に出て、先で待っています。待ちきれないと戻ってきます。
多分私達の2倍は歩いています。
御岳山、瑞牆山・・・
写真は瑞牆山2006.2.25の写真です。皆若い!

原因は、娘菜見の結婚式が立川であり、29~31日まで諏訪のペットホテルにあずけたのですが、多分そこが寒かったのではと考えています。
31日にペットホテルからもらった時は元気でしたが、その夜から下血し、立てなくなり、月曜日の朝から寝たきりでした。
そこから20時間、よくがんばりました。苦しそうではなかったので、一安心です。
屋内で、いつも20℃で暮らしているので、その寒さに耐えられず肺炎か何かになり、下血したと思います。(でもはっきりした原因は分かりません)
今日午後、火葬場に行きました。
骨はしっかりしていて、喉仏がきれいに残っていました。本当に仏様が座禅をして、手を合せている姿でした。喉仏がきれいな人、犬は成仏するそうです。

ナナありがとう!
49日間はまだ、この世にいるとか。まだ成仏せず、夢で逢いたい!

2016/1/26 「2050年は江戸時代 石川英輔著」

2050年は江戸時代 最近読んだ本です。
これはエコアクションの教育で、紹介された本です。大分積読でしたが、やっと日の目をみました。

日本がどんどん縮小し、政府が税金を確保できず、中央政府が崩壊した社会です。それは江戸時代のような自給自足の社会構造になったというストーリーです。
これから日本は人口が減少し、現在のような国家予算が編成できなくなる時は、すぐそこのような気がします。

この本の中で、日本のクニガ病、アチラ病、カネガ病が紹介されていました。
クニガ病は、いつも私が教育で言っていることです。
一度規制をつくると、本来の目的からはずれて一人歩きする。そして、本来の目的を外れて、発展を阻害する。
私がかかわっている労働安全衛生法にも非常に多いです。一昨年には、労働安全衛生法の88条第1項がなくなりました。これは、一定以上の工場で、新設等がある場合に計画の届出を行うものです。労基署に届出しても、確認だけで何の価値もなかったからです。
この法律がなくなったことは、画期的なことでした。

アチラ病は、自分に自信がなくなると、見境いなしに外国崇拝するものと書かれています。
紹介されているのが、日本語軽蔑症。
今読んでいる本もそうです。製品をプロダクト、視覚をビジュアル・・・。
やたらカタカナ語が出てきて、困惑しています。
日本語になくカタカナ語を使わなければならない場合もありますが、できるだけ日本語を大切に使うことが大切です。インテリになればなるほど、カタカナ語になる傾向があります。カタカナ語を使うと、内容が高尚になった気がするのだと思います。

最後のカネガ病です。これは金さえもうかれば、どんなことでもする病気です。
私達はなにも考えないと、すべて金だけの仕事をします。
私のPCには、モチベ―ションのフォルダがあります。これは、生き方に関し、よい考えをメモしたものです。その中に「仕事の枠組み(松岡貴史より)」があります。
ここには、人は4つの「しごと」をしなければならないとあります。
                              楽しみのしごと
                              財源のしごと
                              学習のしごと
                              社会貢献のしごと
ともすると、財源のしごとのみになる可能性があります。
最近の仕事を振り返ると、いかに財源ばかりのしごとが多いことかと反省しています。

かといって財源のしごとをしないと、生きていけません。バランスが大切なのでしょうが、そこが難しいですね。

今日もこれから審査です。形式的な審査であれば、財源のしごとになるし、マネジメントシステムの向上に貢献すれば社会貢献のしごとになります。
そうすると、いい仕事をすることが必要なのだと気付きました。

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